氏族の歴史で評価されるのなら、もし過去に不名誉なことをした祖先がいたら、排斥の理由になるのだろうか。 / 一族の繁栄が「奉事」で決まるのなら、『古事記』や『日本書紀』などの編纂に際し、不正を行って改竄などをする例はあったのでしょうか。

そのとおりですね。ゆえに、王権に対する反逆者などを輩出してしまっては、その氏族、家柄と王権側との関係は乱れ、疎外を受けることにもなる。奉仕の概念が、氏族としてのあり方を縛ってしまうのです。適切な例かどうか分かりませんが、『日本書紀』推古紀において、王権が直轄地として管理してきた葛城県(かつて葛城氏が管理していたものを、雄略の頃に同氏の本宗家を王権が滅ぼし、接収したもの)を、蘇我馬子が葛城氏の後裔を名乗って下賜してくれるよう願い出たところ、推古が「それを実現してしまっては、私も叔父上も後世の人々の批判の対象になる」と拒否した話が出てきます。「奉事」という概念が芽生えることで、このように、過去や未来を想像する歴史観が発達してきたものと考えられます。なお、神話や歴史の改竄は常に行われたようで、そもそも『古事記』の編纂自体が、壬申の乱によって混乱し、虚偽が多く生まれた氏族の伝承、王権と各氏族との関係の歴史を正すという目的で編纂されたのです。事実、『日本書紀』には、壬申の乱で天武に協力した豪族の名前が多く登場することが分かっています。