次期大王の候補者である大兄は、どのようにして有力豪族を関係を構築していったのですか。 / 王族たちの「実力」は、王権のなかでどのように認められていったのでしょうか。あるいは、彼らが担う役職は、どのように決められたのでしょうか。

大兄が運営する宮は、王権の職掌を分担しています。例えば厩戸王(彼は称号としては「大兄」を持ちませんが、斑鳩宮を運営したことは考古学的にも確認される歴史的事実なので、「大兄」的な立場にあったと考えられます)ですが、彼には内政・外交の補佐、そして仏教の興隆が職掌として割り当てられていたと考えられます。厩戸の王家、すなわち上宮王家が関与した寺院造立には、例えば秦氏系の瓦、蘇我氏系の瓦が使用されたことが分かっています。蘇我氏は厩戸の外戚でもあり、仏教興隆を統括していた氏族です。秦氏は渡来系氏族として蘇我氏の統率下にありましたが、族長の秦河勝などは厩戸王の側近としても活躍していた痕跡があります。このように、割り当てられた職掌を通じて関係氏族との連携を深め、その遂行を通じて政治勢力を大きくしていったものと考えられます。