臨済禅と浄土宗とを結びつける意図が、いまひとつ分かりません。

講義での推論は、浄土宗が法然の位置を卓越化するために、当時はまだ人々の記憶にあった「難解な先進的仏教」の体現者であった覚阿を利用した、ということです。またその背景に、天台青蓮院流と九条家のネットワークが関係していたのではないか、と。また教学的な意味でも、2つに繋がりがないわけではありません。実は浄土宗は、浄土教系統のなかで最も瞑想の要素が強い流派なのです。浄土真宗はまさに称名念仏時宗は踊り=無我を第一義とするわけですが、浄土宗は『観無量寿経』に代表される阿弥陀如来、浄土の観想を重要視し、中近世にもその種の注釈書を多く作成しています。論理ではなく実践を通じて救済に近付く、その実践として座禅瞑想を重視するという点で、臨済禅と浄土宗には共通点があったといえそうです。