中国思想が導入され考えが変容したということは、中国の思想の方が優秀であったということになると思いますが、中国から伝わる以前に、日本では独自の思想というものは存在したのですか。

それは、列島社会の環境と歴史に根ざした在来の思想、思考方法が、しっかり存在したと思います。中国思想が入ってきても、それが列島に定着してゆくとき、さまざまな取捨選択が主体的に行われ、変容も起きる。日本列島が、中国になってしまうということはないわけです。しかし同時に、それは中国においても同じこと。あの広い空間で、すべての地域、すべての階層が単一の思想、価値観、文化を持っていたわけでは決してない。いわゆる儒教などは、中国のハイソサエティハイアラーキーの思想なのであって、中国全体を体現するものではありません。また○○独自といった考え方も、これまでみてきた東アジア全体の交流史のなかでは、あまり意味のないものなのかなあと思います。この飛鳥時代の「日本独自」も、それ以前のアジアにおける交流のなかで醸成されたものなのですから。