『日本書紀』は、なぜ蘇我氏の代わりに、蘇我の血縁である厩戸を政治の中枢に置いたのだろうか。もっと別の人間を置いた方が、王権の正当化としては合理的だったのではないか。

日本書紀』は、実は蘇我馬子に対しては、それほど批判的に記述しているわけではありません。大化の改新の際にも、馬子が仏教を隆盛させた功績は大きく評価をしています。用明も崇峻も推古も蘇我氏系の血統でしたので、蘇我氏の血自体を忌避しているわけではないのです。厩戸という人は、法隆寺その他の寺院を建て、蘇我氏の仏教興隆政策に協力したことは確かであったようです。そこで彼を馬子の代役に立て、推古朝改革を象徴させる存在としたのでしょう。