聖徳太子は、摂政でなかったとすれば、どのような官職についていたのでしょうか。

官職には就いていなかったでしょう。あくまで有力な王子宮の経営者、大王位継承候補者として、王権に参加していたものと考えられます。ちなみに、一般的に厩戸を摂政に任じたとされる『日本書紀推古天皇元年夏四月庚午朔己卯条には、「厩戸豊聡耳皇子を立てて皇太子と為し、仍りて政を録摂し、以て万機を尽く委ぬ」とあって、摂政という官職の任命などどこにも記されていないのです。