大伴金村は五経博士の来倭と引き替えに任那を割譲したとのことですが、百済はそれによって何かメリットがあったのでしょうか。勢力が弱まっていたため、鉄の産地や領土を獲得したかったと聞いたことがありますが、合っていますか?

もちろん、その理由は大きいでしょう。6世紀には、高句麗新羅の勢力に百済は圧迫されていました。倭が友好関係にあるうちは不安定ながらも差し迫った問題はありませんが、例えば半島南部を新羅に押さえられてしまうと、百済は完全に高句麗新羅に囲い込まれてしまい、倭と連携するにも、最も近い壱岐対馬沖ノ島を経由するルートを直接使えず、西海岸から回り込まざるをえなくなります。将来的な連携のことを考えると、常駐の大規模な兵力を置いておけない倭にしても、百済に委託してしまった方が利点があったといえるかもしれません。