崇峻天皇のモガリの期間は1日しかなかったと聞きました。どうやって墓を用意したのでしょうか。また、モガリの期間が短くなるのはなぜですか?

全部がそうだというわけではありませんが、大王の墓は寿陵、すなわち即位してから生きているうちに造営し始めるものが多かったのではないか、と考えられています。崇峻の治世は5年ほどに過ぎませんが、大王墓自体の規模も小さくなっていたので、造営にはそれほどの時間はかからなかったでしょう。しかし彼は、亡くなった即日に埋葬されており、そのあたりは異例です。モガリの制度自体は、天武などの頃と比べるとまだ整っていなかったと思われますが、やはり臣下に残酷な殺され方をしたなどの理由で、魂魄が凶窅化するのを防ぐ意味があったのかもしれません。