日本だと、あまりベジアーゼ神話のような「肉を送る」話は聞かないような気がしますが、仏教と関係があるのでしょうか?

確かに仏教の影響もあるでしょうが、やはり狩猟という生業が、社会の表面から隠されてきたからでしょうね。しかし古代からのさまざまな物語が、動物の主神話の痕跡を伝えていることも確かです。今後の授業でも扱ってゆきますが、例えば以前に紹介した『出雲国風土記』で、ワニの群れが語臣猪麻呂の娘を食べたワニを差し出す話。あの伝承では、猪麻呂の娘とそれを食べたワニという肉の交換が実現しており、双方が肉を贈り合っている形になっています。語臣氏は神話=歴史を管理し伝える職掌にあったと思われ、そのため生業に密接に関わる古いタイプの神話形式を保存していたのでしょう。狩猟が生命のやり取りにならざるをえないような緊張感が、背景にあるものと考えられます。またアイヌには、鹿や鮭といった日常よく消費する魚肉をカムイとはみなさず、鹿の主・鮭の主が届けてくれる肉に過ぎないとする考え方があります。