百済救援戦争の話も含めて、東アジアの国際関係のなかで倭がどのような国家を目指そうとしていたのか、その方針がみえてきません。

講義でお話ししたとおりですが、キーワードは「小帝国」です。すなわち、隋や唐のような中華帝国の文明を小規模なレベルで実現した国家です。そのために中央集権を整備し、律令都城国史・貨幣などを整備したわけです。そうした文明のありようによって、東アジア諸国のなかで、唐に冊封されず隣国としての通交ができるような立場を目指したのです。