大海人は東国へ出るときに伊賀を通っていますが、大友の外戚氏族に攻撃されたり、逆にこれを人質にしたりしなかったのでしょうか。

そうですね、しかしそのあたりのことは、『日本書紀』に明記されていません。同書の記述によると、大海人一行は6/24に吉野宮を脱出し、昼夜兼行で翌日には伊賀の東端、鈴鹿付近に到達しています。その途上、交通・伝達の施設である隠駅家、伊賀駅家を焼いていますので、追撃を恐れかなりの速度で、とにかく東国へ脱出することだけを目的に移動していたと考えられます。ただし、伊賀駅家付近で、「天皇」の到達と徴兵を呼びかけたが誰も応じなかったとの記述がありますので、これが、大友の外戚がいる伊賀を抜ける緊張感、その雰囲気を表しているのかもしれません。