倭は白村江の戦いののち、新羅を通じて中国文化を摂取したとありますが、なぜ敵だった新羅と国交が回復したのでしょうか。

新羅は唐の勢力を排除して朝鮮半島を統一した後、クッションとなる高句麗百済が滅亡した結果、直接唐と領土を接することになりました。そうした状態にあって、後輩に敵国を抱えているのは適切ではない。一方の倭も、大陸情報がまったく摂取できなければ、東アジアの国際関係に参画してゆくことができません。両者の利害が一致し、新羅は唐との関係を安定化させるための政治力として、倭は主に先進文化受容の窓口として、お互いを利用すべく国交を回復したのです。