唐ほどの大国が、高句麗や新羅に対して攻めあぐねたのはなぜでしょうか。

統一事業の繰り返しのなかで、当然全勢力を傾けるには至らなかったし、また傾ける方針もなかったというのがひとつ。こうした戦闘は在地の側に土地に精通した利があり、多く侵略する側にとって不利になるという点がひとつでしょうか。前者について補説しておくと、例えば隋は、南朝最後の王朝である陳を滅亡させたときにも、時間をかけて次第にその力を奪ってゆく方法を採っています。百済のように、在地豪族たちが百済復興を目指し徹底抗戦を目指してゆくのが一番厄介で、これを鎮めるのは、必要以上の費用と人力と時間を費やさねばならない。隋唐としては、朝鮮諸国の降伏も視野に入れていたはずで、外交によって種々の交渉をしていたことでしょう。