国・郡・里は、どのような規準で設定されたのですか。

恐らくは、弥生時代以来構築されてきた、政治的・社会的・文化的な、地域のまとまりが根底にあります。そのうえで、大小の国造の支配領域に応じ、大きなものを国として把握、小さなものは郡として把握し、さらにその幾つかを束ねて国としたのでしょう。里は、郡内にある自然村落を機械的に50の単位に分割し、細分化して把握しようとしたものです。しかし後にお話しするように、これは民衆の生活のあり方を圧迫するものでうまくゆかず、自然村落のまとまりをできるだけ壊さないようにする郷里制へ改変されてゆきます。