仏教における生命倫理は縁起論、輪廻説が基本とのことだが、「縁起」と「業」は近しいものに感じられる。両者はまったく異なるものなのでしょうか?

授業でもお話ししたように、「縁」は、因と果の間に働く間接条件です。「業」は行為の集積。よって、業が何らかの果を導く縁になることもありますから、ケースによっては縁=業となります。しかし、縁自体は、その出来事が因果のなかでどのような意味を持つか、どう機能するのか、といった意味づけに過ぎませんので、何らかの主体による行為とイコールではありません。要するに、自然現象も縁になりうるのです。逆に、自然現象は業にはなりません。