仏教が伝来して間もない蘇我馬子の頃などには、民間へ布教する僧侶はいなかったのでしょうか。

行基のような活動の先達として位置づけられるのは、彼の師であるともいわれる道昭です。彼は唐に渡り、『西遊記』で有名な玄奘三蔵の教えを受け、玄奘が天竺から持ち帰り新訳した経典を、日本へ初めて持ち帰りました。『続日本紀』にその卒伝(死亡記事に付された伝記)が載せられていますが、やはり行基と同じように民間を周遊し、道や橋などを敷設する事業を行ったと記されています。彼は文武天皇4年(700)に亡くなり、火葬に付されています(記録に残る、列島最初の火葬です)。そのほかには、法隆寺に残る朱鳥元年(686)の『金剛場陀羅尼経』に、河内国(現在の大阪府)で知識(ある仏教事業を協働で行う同朋集団)を募り、同経典を書写した僧侶として「教化僧宝林」の名があり、彼も民間で活躍した僧侶であったと考えられています。馬子の時代は、未だ仏教が渡来して間もなく、その活動範囲は有力豪族や渡来系氏族のなかに限られていましたが、7世紀の半ば頃から、次第に一般社会へ布教する僧侶も現れたようです。