『成実論』の、「毛の多いことが牛のようであるなどの者は、悪口の業によってその種の畜生に堕ちる報を受ける」とありましたが、どうして毛が多いと罪になるのでしょう。ハゲの方が尊いのですか!?

うぅ…何か身につまされますね。いわゆるアニミズム的な価値観においては、獣と人間を分けるものは「毛皮」でした。それゆえに獣は毛皮を脱ぐと精霊=人間の姿になり、人間が毛皮を着ると獣に変身できたのです。このような発想を基盤として、多毛が未開や野生を意味するとの認識ができあがってゆきました。蛮族=野人を毛むくじゃらに描く表象は、ヨーロッパ中世にも、アジア世界にも見出すことができますし、日本では蝦夷をそのような存在として捉えていました(蝦夷の「夷」は夷狄、すなわち東夷のこと、「蝦」はエビの意味で髭が長いことを指します)。『成実論』のこの記述も、同じ発想に基づくものでしょう。ちなみに、1933年に出版された日本の自画自賛本の原点、『世界に輝く 日本の偉さはこゝだ』(新潮社)では、日本人は西洋人に比べて毛が少ないので文明性が高い、という考え方が本気で述べられており、衝撃を受けます。