殺生功徳論が普及してゆくなかで、それまで罪業論を支持していた集団、権力は、功徳論をどうみていたのでしょうか。また、罪業論はどういった情況で受け継がれていったのですか。

仏教的価値観のメインは、やはり殺生罪業論であったといえるでしょう。その価値観は、現在に至るまで広く普及しています。その浸透力、強固な定着の結果として、漁業の盛んな地、狩猟や屠殺に関係する地には、鳥獣魚をめぐる供養塔が立ち、林業地帯には草木供養塔が、その他無生物にまで及ぶ職種ごとの道具関連の供養塔などが、各地に立てられています。前近代にも肉を食べていながら、肉食の始まりは西洋近代を輸入した明治にある、との虚構も罷り通ってしまっています。そうした心性の情況にあったからこそ、殺生功徳論も意味を持ったのです。功徳論もあらゆる殺生を正当化し肯定しているわけではなく、あくまで罪業論に基づき、その罪業を回避しようとする考え方なので、宗派間・宗教間の大きな対立には至らなかったようです。