『出雲国風土記』安来郡の説話で、語られた年代が書かれていることは珍しい、とありましたが、この説話は年代が明記されていたのでしょうか。

以前に配付資料に引用したとおり、「飛鳥浄御原宮に御宇しめしし天皇の御世、甲戌の年七月十三日」という日付が出てきます。天武天皇二年(673)、と考えられています。そうして現状の記録がなされたのは、『出雲国風土記』勘造の天平五年(733)。本文に、「その時より以来、今日に至るまで六十歳を経たり」とも書かれています。正確にいえば、673年は事件の起きた年であり、それが物語化された年ではありません。しかし、事件の記憶が伝わるには、何らかの形で保存されたはずです。伝承の主体が語臣という、口頭伝承の歴史を管理する氏族であったことを考え合わせれば、伝統的な何らかの神話的形式をもって伝えられたとみることができます。とにかく記録し伝承することを第一義とするなら、その成立は事件発生をそう隔たらない時期であったとみられます。