最初の遣唐使は、中国皇帝からどのような待遇を受けたのでしょうか。

大宝の遣唐使ですね。唐の正史『旧唐書』列伝/東夷/日本国に、「長安三年、其の大臣朝臣真人来りて方物を貢ず。朝臣真人は、猶ほ中国の戸部尚書のごとし。冠を徳冠に進め、其の頂に花を為し、分けて四散せしむ。身に紫袍を服し、帛を以て腰帯と為す。真人は経史を読むを好み、文を解し属(つく)り、容止温雅なり。則天、之を麟徳殿に宴し、司膳卿を授け、本国に放還す」とあります。「朝臣真人」は、執節使粟田朝臣真人のことと考えられますが、恐らく武周王朝の建設期に当たっていたためか、厚遇を受けたようです。しかし、当時中国王朝は他国に律令の編纂を認めておらず、『旧唐書』に「倭国伝」と「日本伝」の二つが収められていることを考えると、所期の目的は充分には達せられなかったようです(二伝が収められているのは、遣唐使が国号変更の理由を充分に説明できなかったからではないか、との見解があります)。