国家が隼人を制圧するために南島を懐柔しようとした方法は、中国的な遠交近攻策を想起させるとのお話がありました。これは、中華思想が浸透した結果でしょうか。

通常の政治、兵法としてはありうる話だろうと思いますが、確かに『春秋』三伝をはじめとする中国史書が輸入され、研究が進むなかで、このような方策が立案されるようになっていった可能性はあります。奈良時代以降、文章得業生に対する試験「対策」において、博士からの出題に受験者が答えた内容「策文」には、中国の故事をどれくらい熟知し漢籍的レトリックをどれだけ駆使できるかが求められました。当時の貴族や官僚にも、例えば中国六朝の右書左琴のように、書・詩文の才と奏琴の技術などが期待されていたことが分かっています。教養人である藤原不比等長屋王がトップに立っていたように、政治の現場においても、中国の故事などを引き合いに出した議論が行われていたと想定されます。