長屋王と藤原四子の政策は、決定に至るまで会議体できちんと議論されていたのだろうか。また、長屋王を支えていた人には、どのような人物が挙げられるのだろう。

やはり著名なのは、四子の次男、藤原房前です。彼は、元明上皇から首皇子の後見役として内臣の職を任じられ、長屋王の宴席にも出席していました。また、宴席への誘いを辞退する漢詩が残っていますが、入唐留学から帰国した道慈(国分寺の発案者と推測)も、ブレーンのひとりであったと思われます。