藤原四子が天然痘で亡くなったのは、都合がよい気がします。何か謀殺のようなものはなかったのでしょうか?

天平9年の天然痘の流行の被害は凄まじいもので、従五位下以上の京官の約4割弱が半年のうちに死亡し、国家の中枢である議政官の半分以上が亡くなってしまいました。国家を動かす知識・技術を持った人々が、地方の末端から中央の中枢に至るまでほとんど死亡してしまい、まさに存亡の危機に瀕していたのです。ちなみに藤原四子は、恐らくは互いに見舞い合うなどしたために、速やかに感染し命を落としてしまったものと思われます。緊密な関係であったのが、災いしたのでしょうか。