天平7〜9年に大流行した天然痘ですが、日本全体ではどの程度の人数が亡くなったのでしょうか?

人民から徴集した正税の帳簿である「正税帳」から、稲を貸し付けて利稲を取る出挙の免負稲率、すなわち負荷人民の死亡によって免除となった負担額の割合を調べてみると、おおよその死亡率を導き出すことができます。通常、この割合は10%未満なのですが、天然痘の猛威が吹き荒れた天平9年には、地域によって30〜60%前後に跳ね上がっています。データの残っている地域でいうと、和泉は未納も記載があり合わせて50%弱、駿河は概ね30%前後、長門は未納も記載があり合わせて30〜50%、豊後も未納の記載があり合わせて60%弱でした。すなわち、これらの国々では、郡の住民の3割から半分が死亡していることになり、列島全体に当てはめると大変な事態であったことがよく分かります。