東大寺についてですが、古代のひとはみな実際に東大寺に拝礼に来ることを許されたのでしょうか。また、全員が仏教徒だったのですか?

奈良時代の当初、東大寺への庶民の参詣がどの程度許されたのかは、実はよく分かっていません。ただし、天皇から庶民までが協力してひとつの知識をなし、大仏造立を完遂するという聖武の理想からすれば、無礙にそれを禁制したりはしなかったと思われます。むしろ、そうした機会をあえて作り、大仏の威容を示すことが考えたでしょう。天平勝宝4年(752)、未だ完成には至らない状態で挙行された開眼供養会においては、1万人を超える道俗の参列者に庶民は含まれませんでした。しかし、大仏の覆い屋である大仏殿は、開眼供養より遅れての建設でしたので、市井の人々も京域よりその様子を望見することはできたでしょう。院政期に描かれた『信貴山縁起絵巻』下巻には、弟の命蓮法師を訪ねてきた小尼公が、大仏殿に参籠する様子が描かれています。これによれば、少なくとも平安後期頃には、東大寺も一般の参詣者を受け容れていたと推測できます。