天皇が仏教に深く帰依したことと、神仏習合とは関係がありますか?

大仏造立に関して、宇佐八幡神が仏教に帰依し、列島の神々を率いて事業に協力するとの託宣を下します。以降、一地方神に過ぎなかった八幡は急速に勢力を拡大し、仏教国家たる王権の守護神となってゆきますので、この動きには大いに政治的な臭いがします。しかし、八幡はその立地環境からしても渡来文化に開かれており、6世紀には仏教を導入していたことが確認されます。神仏習合の動き自体は、6世紀の終わり頃から地方でみえはじめますが、それを中央化したのが八幡の託宣だったといえるでしょう。その実現の背景には、恐らく朝廷との実務的交渉があったのでしょうが、即神たる天皇が仏教へ帰依する構図の矛盾が、神仏習合によって解消されたことは間違いありません。