仏教の殺生を悪とする姿勢が前提としてあるとはいえ、地獄の描写において串刺しが描かれるようになったのはなぜなのでしょう。

確かにそうですね。串刺しの残酷性については、何らかの作用によって歴史的に構築されてきたのだという視点のほかに、生理的な嫌悪感、危機感なども反映している可能性があります。地獄の責め苦については、とくにそうした問題を考える必要がありそうです。このような感性レベルのことがらが、どの程度本能といいうるものでどの程度歴史的なものなのか。なかなか難しいことですが、史料を丁寧に探索してゆくことで、明らかにできることも多いかと思います。例えば、ドラキュラの原型たるブラド・ツェペシュの〈串刺し〉はどう考えるか、古ヨーロッパ的世界には神送りの串刺しは存在したのか。磔刑などとの関係も含め、分析してみる必要がありそうです。