神の顕現としての串刺しのあり方は、列島社会独自のものなのでしょうか。アニミズムとの関係でいうならば、普遍的な広がりを持っていてもおかしくないと思うのですが。

この問題は重要ですが、私のなかで、未だ充分な考察ができていません。ただし、上にも少し書いたように、いわゆる磔刑の成立が、タツことと関係するのではないかと考えています。すなわち磔刑とは、神送りに準えて、人間の霊魂を他界に送るための所作だったのではないか。これが繰り返される古典古代のなかで、次第に日本古代の串刺しのようなマイナス・イメージが固定化していったけれども、イエスの十字架像が神聖化されるのは、根底に未だタツ姿の神聖性が持続していたからではないかのか、そのようなことを想像しています。