なぜアニミズムの串刺しのあり方が、仏教の残酷な串刺しのイメージと、共存できなかったのでしょうか。

列島在来の、地域的特徴を強く持った祭祀のあり方が、長い時間を経て解体されてしまったからでしょう。それは仏教が攻撃対象にしたのと同時に、神道の側の責任も大きいと思います。かつては各地の神社も生業とともに存在し、魚肉を供える祭祀、生け贄を奉るような祭祀が存在していました。それが、中世後期、近世を通じて、次第に血や穢れを嫌うものへ方向転換してゆく。近代における国家神道の成立によって、この傾向にさらに拍車がかかってしまいます。ステレオタイプの喧伝で繰り返されるように、現在の神社がアニミズムと直接に結びつくものではなく、逆にこれを抑圧し解体してしまった責任のあることには、とくに注意が必要でしょう。