吉蔵『大乗玄論』への言及があったが、「〈成仏〉さえ仮の言葉なのだ」という内容が気になった。真の意味とはどういったものなのか。

『大乗玄論』のなかでは、仏法の真理が世界に遍満しているのであれば、あらゆる区別や分節は煩悩に遮られた人間の認識が生み出してしまうもので、本当には存在しない。成仏とは、「仏でなかったもの」が「仏になる」ことであって、そこにも差別や分節が存在している。よって「成仏」は、真理のみえない人間を導くための仮の言葉=方便であって、本当はあらゆるものがすでに仏なのだ、と語っているわけです。