日本では、山や森林が多いので、草木成仏論が追究されたのでしょう。草木というと生命のあるものですが、石などの無生物も含まれるのですか。

「草木成仏」というと、確かに土や石などは指さないかにみえますね。より範囲の広い議論でいうと、「無情成仏義(非情成仏義)」ということになります。ここには、無生物の問題も含まれてきます。「草木国土悉皆成仏」「山川草木悉有仏性」もやはり天台系のスローガンですが、ここにも無生物の問題が含まれてきますね。以前授業でお話しした『叡山大師伝』のなかの香春神宮の神仏習合の話、あれも最澄ですから天台宗ですが、香春岳の山神の成仏を論じた内容でした。中国的な感性で語ってしまうと、単に主託神の成仏の話になりかねないのですが、崩れた山肌が神の身体にも現れていることから、あれは主託神ではなく山の生命としての精霊そのものなのだ、と考えることができます。無生物に生命を見出し、その成仏を考えている事例のひとつといえるでしょう。