結局、法王とはどのような役職だったのですか。

歴史上、道鏡のみしか就任しなかった特殊な職位でしたので、詳細についてはよく分かっていません。しかし、法王を補佐する法王宮職が設置された点からすると、皇后や皇太子に準じる地位、准三后のような位置づけであったと考えられます。「法王」の言葉自体は、恐らく聖徳太子(上宮法王)に基づいています。事実、光明皇后は、阿倍内親王孝謙・称徳)を即位させるに当たって、皇族でありながら仏教を興隆した聖徳太子のあり方を喧伝し、阿倍を性別の超越した仏教的王に仕立て上げようとしています。その意味では、推古天皇を補佐した聖徳太子と同じく、称徳に対する摂政的な役割を期待されたといえるでしょう。