天皇の中国化というが、唐風化政策には具体的にどのようなものがあったのか。

まず、桓武天皇に関しては、衣服についても中国皇帝と類似のものを身に付け、王権正当化の方法としても、中国王権の祭祀である昊天祭祀を実施、革命を唱える『春秋穀梁伝』を導入しました。また、詩文を国家経営に役立てるという文章経国思想(魏の文帝曹丕が唱えたもの)に基づき、『文選』など中国詩文の精華や正史の類など、中国の文物を盛んに導入してその吸収・消化に努め、勅撰漢詩集の『凌雲集』『文華秀麗集』『経国集』なども編纂してゆきます。この傾向は嵯峨天皇弘仁年間にピークを迎え、国風文化を生み出す土壌にもなりました。