最初に幼帝が立ったとき、周囲からの反発はなかったのでしょうか。 / 幼帝の出現は、摂関家などが政治の実権を握るためだとの印象が強いのですが、実際はどうだったのですか。 / 天皇と摂関との権力関係は、結局どちらが上なのでしょうか。

上で少しお話しした平安時代の政策決定システムに、陣定と呼ばれる合議があります。最終的に天皇の決裁を受けねばならぬ重大案件について、議政官=公卿たちが、位階が低い者から順に見解を述べてゆき、大勢を決して天皇へ裁可を仰ぐ。最終的に天皇の存在を必要とするところが、やはりその権力の上下関係を如実に表しています。ただし、摂関家が策動し天皇を退位させてしまう場合も多々ありました。すなわち、現実はその制度的な地位とそれに付随する権力だけでは意味をなさず、いかなる勢力と結び味方に付けているかという個々人の力量、政治的ネットワークにあったといえるかもしれません。