大寺院の造営には木材の調達がしばしば伴うはずで、草木の主体性に着目する視点が比叡山にとくに現れた説明としては、木材の伐採だけでは不充分ではないか?

確かに、まだまだ考えねばならない点があります。しかし、いわゆる大寺院の造営においては、木材としてある程度製材されたものが建築現場に送られてくるので、僧侶が伐採現場に居合わせることはほとんどありません。しかも、近江は大規模な林業地帯で、藤原京平城京東大寺石山寺長岡京平安京と、延暦寺建設の時点で100年以上の林業の積み重ねがありました。ほぼ同じ平安初期の時点で、奈良の古刹長谷寺の縁起が再編成されており、そのなかにも「祟りなす樹木が長谷寺観音として再生する」という樹木信仰上重要なモチーフが描かれますが、物語りの始まりがやはり近江国高島郡なのです。僧侶の生活圏でこれだけの伐採が常に行われていたというのはかなり特殊な情況なので、少なくとも、草木成仏論の形成とまったくの無関係であることはないと思われます。