審神者は同じ女性ではいけないのだろうか。伝える役割を男性が担うことで、女性の力を抑えているのか?

この神がかりの女性/審神者の男性という組み合わせは、『日本書紀仲哀天皇9年(神功皇后摂政前紀)3月壬申朔条に、神功皇后の事例として登場します。この場面はなかなか緊張感があり、仲哀に祟りを下し死に至らしめた神霊を探し出すために、神功皇后が憑霊者となり、武内宿禰が神を下ろす琴の弾き手、中臣烏賊津連が審神者となって、次々と皇后によりつく神霊に質問をしてゆくというものです。中国六朝の事例などをみると、男性への憑霊事例も少なからずあり、古代日本でも、例えば天皇が夢告として神の託宣を受ける話は多くあって、神霊の声を聴く者が女性とは限りません。第一古墳時代には、神霊の力を身に付けて統治を行う男王が、各地に蟠踞していたわけですから。よって、憑霊者/審神者ジェンダー役割は、本来は自在に転換しうるものだったのだろうと思います。すなわち、男性の憑霊者、女性の審神者という組み合わせもありえた。しかし、女性に宗教、男性に政治、という分業が強固になってゆくにつれて、組み合わせは固定化されてゆくのでしょう。なお、憑霊に男女が関わる意味は、性交渉による新たな生命の誕生と関わりがあるのでしょうから、同性同士のペアはあまり例がなかったのではないかと思います。