現在中学校や高校で使われている教科書は民間会社が作ったものですが、会社によって記述が異なる場合があるのはなぜなのでしょうか。国民統合の手段ならば、教科書の記述も統一した方が効果的と思います。

それをしてしまったら、もはや全体主義ですね。民間で教科書を作成する必要はなく、戦前・戦中のように、国定教科書を配布すれば済むことです。ガイダンスの際にもお話ししたのですが、戦後の教育改革はこの反省から出発し、民間から自主的に教科書の作成・出版ができるような仕組み作りが目指されました。指導要領や検定制度によって緩やかな統一はなされていますが、ある程度の自由裁量が許容されているのは、いまだ自由主義教育の前提が生きているからです。