近代歴史学のディシプリンがスタートしたとき、ドイツ実証主義に基づく西洋史部門がまず発足し、それに対置される形で国史も発足したという理由がよく分かりません。西洋を手本にするなら、西洋史だけでよいのではないでしょうか。 / 国史学科の設置はリースの申請によるとのことですが、この頃はまだナショナル・ヒストリーへの志向はなかったのでしょうか?

史学科の設置は、やはり最終的にはナショナル・ヒストリーを構築するための学問的根拠であり、その担い手となる研究者を養成するための機関でもあった。それゆえ、国史学科が設置されてゆくのは当然といえます。リースの申請に至るまでは、すでに民間で福沢諭吉らの動きがあったわけですし、帝大内部でも、国学や漢学の方法論に基づく国史研究は行われているのです。リースのそれは、あくまで「西洋史の方法を使った日本史」の始まりだったのです。