歴史をそのままに受け取り、個人の意見や人為的な教訓を加えようとしない、これは理想的な理念だと思いますが、もし第一次史料の時点ですでに私見が入っており、同じ件について他に史料がないときなどは、どう対処したらよいのでしょう。

さまざまなレベルでの比較という方法があります。例えば、古代において、Aという人物がある事件に際して取った行動を検証するとします。それについて書いた記録はひとつしかなく、同一記事については比較対象がない。しかし、例えばAが所属している氏族の性格、国家における役割、政治思想などは他の史料から分かる。また、A自身の政治的業績も、他の史料から断片的に分かる。また、同時代でAと同じような政治的・社会的ポジションにあるBという人物の行動原理などが、他の史料から分かっている、等々。こうした他の様々な史料の記述を比較対照してゆくと、Aの行為が果たして事実として蓋然性のあるものか、あるいは疑わしいかの判断がある程度可能になってきます。そうした関連づけられる史料をいかに探索するか、またその記述をどのように読んでゆくかがポイントになるでしょう。