戦前・戦中においては、応用史学の知識で教育された人々が、純粋史学の研究成果に触れることは、機会としては多くなかったはずです。大部分の人々は、「皇民教育」を受けてその内容を信じ、国家主義的な思想や行動原理を持つに至ってゆくのです。また物語の排除については、あくまで、歴史を構築するための史料として、ということです。『太平記』に書かれている種々の英雄的エピソード、会話や教訓などを、江戸期の民衆たちは史実と信じていたわけですが(正確にいうと、史実かそうでないか、という判断自体をしなかった)、実証史学はその点を批判し、文学としての価値ではなく、史料としての利用のあり方を否定したのです。