民衆個々に寄り添う歴史というのは初めて聞いたのですが、面白い考え方だと思います。これは現在の歴史観にどのような影響を与えているのですか? / 知識人がその傲慢さから一般の人々、あるいは対立する人々を嘲笑し、思想を押しつけるような運動のあり方は、例えばそれが左派のものであったとしたら、極右のすることと何ら変わりはないと思う。こういった傲慢な態度に陥らないような運動は可能だろうか。

ぼくが現在参加している、宗教学者民俗学者社会学者らとの共同研究に、日本における「パブリック・ヒストリー」の構築を目指すものがあります。これは、歴史実践を専門的研究者の独占から解放し、異なる価値観を持つもの、異なる政治的ポジションにあるもの、異なる職業、異なる階層にあるものどうしが議論しあうなかで、公正な歴史のあり方を目指そうとするものです。いわゆる白人と原住民との歴史をめぐる対立がある地域で、導入が進められてきた概念であり方法です。まだ始まったばかりですが、歴史学民主化における最も先進的な取り組みとして、国民的歴史学運動などの反省を踏まえつつ進めてゆきたいと思っています。