なぜ社会史が衰退し、言語論的転回に変わったのかがよく分かりませんでした。 / 「転回」により、人間のみている世界は人間特有、ある言語を用いる者特有、ある状態にある個人特有のフィルターにより、歪められ造られたもので、実体の世界は異なると捉えられたそうですが、例えばもろもろの社会史研究も、時代ごとに人々のみるものが違い、異なる世界に生きていることを示すことで、同様の結論に至っているように感じます。「史料」の不正確さのためだけに、社会史・歴史学は批判されたのでしょうか?
言語論的転回の歴史学批判は、主に実証主義的な歴史認識、叙述のあり方に対して向けられました。社会史もそれらを批判していたわけですが、その全盛期は社会史研究者が歴史学界を代表していたようなところもあり、また隣接諸科学との協働も進めていたので、「転回」の批判に対して社会史が回答をするという構図になってゆきました。その意見交換のなかで、社会史側にも実証主義を克服しえていない部分が暴露されてゆき、そこを批判されて大きく勢いが阻害されたことも確かです。日本の歴史学界のレベルでいえば、社会史を主導していた人々や、近現代史でアクチュアルな問題と常に向き合っていた人々以外、しっかりした理論的対応、議論ができなかったという意味もあります。一般の歴史家たちは議論を敬遠して遠離り、社会史の人々は議論の応酬に倦んでしまった。そうして時期的に社会史の牽引者が亡くなってゆき、「歴史学者はもっと地に足がついた研究をすべき」という反動的雰囲気が強くなったという印象です。実際に網野善彦らの死後、「彼が遺した実証的成果はなにひとつない」といった批判や、『網野善彦の超え方』などという本まで出るに至りました。このあたりのことは、純粋に学問的議論を通じて枠組みや傾向が変わっていったというより、理論忌避のムードが高まるなかで、社会史は流行として処理されてしまった面が強いように思います。