言語論的転回の説明に際してあった「部屋の譬喩」は、個々が世界を選択的にみている、ということでよいのでしょうか。

クリサート・ユクスキュルの『生物からみた世界』に使用される部屋の譬喩は、多くの生物の所与の機能によって分節された世界、すなわち環境を意味しています。ゆえに、空間の諸要素を選択するというより、生物によって構築する世界=環境が異なるといった方が性格です。あの説明にも限界があって、同じ部屋の図を用いるということは、それぞれの生物によって、空間が同じように「みえている」ことを前提にしてしまっているところがあります。実際は、ハエと人間とでは、「みえて」いる世界自体が違う。ハエにとって、食器と照明以外はみな同じものであって、区別されていません。真っ黒な空間に、明るい光体と、臭いを放つ物体が浮かび上がっているだけなのです。部屋という認識自体もありません。これは選択の結果ではなく、生物によってそれぞれ決められているのです。