数多ある写本のなかで、優位性は存在するのでしょうか。存在するなら、それは誰がどのようにして決めるのでしょう。

校訂作業が充分に行われていない時代では、やはり書写したひと、所蔵している家が高位なほうが、写本のレベルも高いと認識されていました。しかし校訂作業が開始されるようになると、その価値付けは次第に、古さと正確さから判断されるようになってゆきます。しかし個人的には、上記のような史料的価値もありますので、古さと正確さだけで古文書・古典籍を価値付ける見方には反対です。