聖徳太子と蘇我氏の関係はやはり密接だなと感じますが、この両者があまり近い関係ではなかった印象が、何となくあります。聖徳太子が独立しているような……ただのイメージなんでしょうか。

日本書紀』のなかには、「聖徳太子」と蘇我馬子が仲違いをしているという記述はありません。むしろ『書紀』の記述は、「太子、島大臣」と連結して記すことが多いので、共同して事に当たっているとの印象操作をしています。厩戸の夫人、長子である山背大兄王の母親は、馬子の娘である刀自古郎女です。実際の人間関係はなかなか分かりませんが、少なくとも『書紀』は、二人を疎遠には描いていません。ただし、厩戸没後に新羅征討計画を立てているあたりは、もし授業でお話ししたように厩戸が外交に何らかの貢献をしていたのだとすると、両者の間に意見の相違があり、それゆえに馬子は厩戸没後に計画を起こしたのだとみることもできると思います。