「大王」から「天皇」へ表記が変わったのは、なぜなのでしょう。

天皇」という称号は、一般的には、天武持統朝から使用され始めたと考えられており、このことは同時代の出土文字資料である木簡から確認されています。「天皇」という言葉自体は、道教の至高神格である天皇大帝(北辰)に由来するとみられていますが、実は7世紀の後半、唐や新羅でも帝号・王号として使用された痕跡があります。天武も、そうした東アジアの趨勢に従って自称したのでしょうが、もうひとつその内実の変化として注目されるのは現御神、すなわち生きた肉体を持った神という認識を身に纏うことです。古墳時代の時点で、亡くなった大王の霊魂はカミになるとみなされていましたが、現実の大王は、その力に支えられて政治を行うに過ぎませんでした。しかし、柿本人麻呂らの天皇即神表現(「神ながら」「大王は神にしませば」などの形式を伴う)を持った和歌(かつては単なる娯楽ではなく、儀式の場で披露され、政治的・宗教的な意味を持った)が、天武・持統を神として称賛し、また直接高天の原から降った神格と歌うこと、それに見合った神話や祭祀・儀礼などが整備されてゆくことで、「生きた肉体を持つ神」のイメージが構築されてゆくわけです。その一点においても、天皇と大王とはまったく異なる存在であったのです。