和歌や文学作品に登場する山は、森林ではなく草山や柴山だったのでしょうか。

例えば『万葉集』など、自然との精神的な繋がりを歌うものが多いとされていますが、その歌が多く詠まれた藤原京の時代などは、周辺の山林の大径木が枯渇状態にあったらしいことは、すでに判明しています。すでに藤原京造営の時期から、遠く離れた近江の山林地帯にまで、必要な材木を求めに行かなければならなかったのです。有名な藤原宮を祝福する「藤原宮の御井の歌」では、大和三山のひとつ耳成山を、「耳成の 青菅山は 背面の 大御門に よろしなへ 神さび立てり」と歌っていますが、「青菅山」とは「青々とした菅の山」の意味、すなわち柴草山のような低植生の山のことと思われます。恐らくは高木の生えていたはずの山が、伐採を経て低植生となっていたものでしょう。それを「神さび」、すなわち神々しいと歌っているわけです。古代においては、未だ柴草山は一般化していませんが、低植生の山々を「青山」と表現する場合もあったと考えられます。