熊沢蕃山など、高校日本史でも学ぶような有名な人物が日本の森林について発言しているのに、それらの事実が教科書などで教えられないのには、何か理由があるのでしょうか。

環境史研究があえて排除されているからではなく、やはりナショナル・ヒストリーにおいて重要なのは政治史である、他の分野の研究の参照は最小限に止める、ということなのでしょうね。そうした考え方が、未だに旧態依然の状態で残っているわけです。