桃太郎のおじいさんが刈敷の柴草を刈っていたということは、彼は「農夫設定」であったということでしょうか。また、柴刈りが仕事の一環であるなら、男=仕事、女=家事という図式が、昔からのものなのだなあとも感じました。

いわゆる百姓であることが、まさに柴草山の解釈から見出されると思います。ただし、一般の農業労働においては女性も重要な働き手ですので、必ずしも「桃太郎」昔話が、女性のジェンダーを家内労働に固定化して語ったわけではなかろう、とは思います。しかししかし、近代に至って女性が家庭に縛り付けられるようになると、「柴刈り」と同じく、「川へ洗濯」の読みは限定されてゆくことになると思います。