しかし、木々の生い茂った山林と、草山・柴山とでは、環境的にどちらが好ましいのか?

自然環境の善し悪しの基準は、一般的に生物多様性の観点から考えるべきとされています。すなわち、より多くの生命が生育できる状態が望ましいということです。そうした意味では、柴草を肥料として利用するため、これらを選択的に生育できるよう圧力を加えた柴草山は、決してよい環境とはいえません。同じことは、水田に関してもいえます。よく、「水田を作った方が環境に変化が生じ、生物多様性が増す」との見解が聞かれますが、それは水田稲作を結果論的に正当化する言説に過ぎません。それは、生態系が、人間が自らの利益を増すために行った改変に適応しようとした結果であり、決して人間側の功績ではないのです。